ひと夏の家庭教師


『ひと夏の家庭教師』


第22話




 「好きなの」
「は?」
「だから、好きなの」
「いや、だから、好きとか言われても、もう俺達は別れたじゃないか」
「でも、忘れられない」
「お前、彼氏出来たんだろ?別れた後に。その彼氏はどうした?」
「見栄張ったの・・・。あなたに『私はモテるのよ。だからちゃんとつかまえていて欲しかった』って・・・」
「な、何を・・・。喧嘩別れじゃないだろ?お互い冷めたなって合意の下じゃないか」
「うん。でも別れて分かったの。彼氏が出来たって見栄張って分かったの。離れたくないの・・・」
「お前の言うことは分かった。でも、半年間連絡とってなかったし、お互いその後を知らないわけだし」
「冷めてるのね・・・。でも、あなたはずっとそんなだった。冷静だった。頭いい人・・・そういうところが好き」
「そんなにいいもんじゃないぞ」
「時々、優しいのよね。気をつかってくれる・・・」
「そりゃ、思い込みだ。俺は優しくなんかない」
「浮気とか絶対しないし、約束もちゃんと守ってくれる」
「それは、人間として当然」
「嘘つかない正直な人」
「母さんからの遺伝かな」
「妙なところで照れるのも可愛い」
「照れるようなことされたら誰でも照れる」
「とにかく、好きなの」
「・・・まあ、俺も・・・」
「今週の日曜日、いつも待ち合わせに使ってた公園で待ってるから、来てね」
──電話は切れた・・・。
 相手?大体、察しはつくと思うが、1年半以上前に別れた『元』彼女だ。名前は・・・忘れかけていた。確か─美恵(みえ)─と言ったか・・・。付き合った期間はだいたい3ヶ月くらいだった。大学に入って初めてやったバイト先で知り合い、仲良くなり付き合うようになった。
 これでも数人と付き合って来たし、一度だけ夜を共にした人数も入れると少し数は違う。その中の1人である、確かに。
 そんなに目立つ子でもなかった。ただなんとなくバイト先で気が合って付き合い始めた。告白は彼女からだった。付き合ってそんなに間もなく彼女の家で寝た。覚えてることと言えばそれくらい・・・。
 そんなに付き合った期間が長いわけでもないし、冷めたかなと思ったから別れたから未練もなかった。
 その美恵が何故か急に電話をかけてきて、そしてあの会話である。驚くのも無理はない・・・。番号はずっと変わってないからメモリさえ消してなければいつかかってきてもおかしくはない。俺だってメモリを消していたくらいだ、向こうも消したかと思っていた。
 というか、今はキョコと付き合っている。今は12月になるから、もう3ヶ月になる。平日はお互い学校の関係で忙しくて会えないが、土日のどちらかには必ず会っている。テストが近くなった時には勉強を見てやっている。勿論、カップルとしてすることはしているし・・・。なんたって、キョコに惹かれたのは俺だ。自分から恋したなんて初めてと言っても何も違うところはない。

 しかし・・・、どうしたものか・・・。今更よりを戻してくれと言われても俺にはキョコがいるし別れるつもりなんてさらさらない。別れてくれと言われても断固否定する。まあ、会ってみるくらいならいいか・・・?一応、相談はしてみよう。

「は?」
予想していた反応ではあるが・・・。健に言ってみた。
「美恵ってあの子だろ?あのー・・・バイト先で知り合って付き合って3ヶ月くらいで別れた」
「うん。その子。1年半くらいになるな別れて」
「まだ残ってたのか・・・」
「あのバイト自体、別れるちょっと前に辞めてたな、俺」
「そうだっけ?何かその子の周辺の記憶が薄い」
俺の事情を一番よく知っていると言える健でさえほとんど覚えていない。多分、いつの間にか付き合っていつの間にか別れてたという感覚なのだろう。
「で、その子がよりを戻してくれって?」
「そう。唐突に」
「本当に唐突だな」
「俺もビックリした」
「それで、会うだけ会ってみようって?キョコちゃんには?」
「言ってない。なんというか、断る前に電話切られた」
つまり「・・・まあ、俺も・・・」の後に「付き合ってる人がいるから無理だ」と言おうとしたわけだが。あのタイミングで切られたら掛け直し辛い。行かなくてまた電話とか来たら困るし・・・。勿論、付き合う気がないわけだから、ちゃんと行って直接断ってこよう。これですっきりだ。

 ──のはずなんだが・・・。
「ほら、こっちこっち!」
「あ、ああ・・・」
今どこにいるかって?聞かないでくれ・・・。
 公園で待ち合わせた。時間より少し遅れて俺は着いたが、美恵はさして気にする様子もなく、俺が必死にキョコのことを話そうとしているのも関わらず、遮って俺を連れ回す。こんな奴だっけ・・・。記憶にあるのは顔くらいだったので、どんな人物だったとかは全く出てこない。
 多分、こんな子だったんだろう。じゃなければ、久しぶりに会えたことがそんなに嬉しかったか?前の電話である程度、把握したつもりだったが、強引だということだけ確かだ。ワガママなのか?ワガママは別に嫌いじゃないが、過ぎると嫌だ。
 今日は・・・、キョコと夕方から約束だ。テスト勉強の為にキョコのウチに行く。公園に着いたのが午後の1時過ぎ。余裕はある・・・が、
「これ欲しいなあ・・・」
何かが揺らぐ。キョコはそんなに「買って買って」はしないから、こういうワガママな空気?人?が逆に新鮮だ。楽しくないわけではない。勿論、早めに切り上げたい気持ちもある。その為にはキョコと付き合っているということを言わなければ・・・。
 本当は「まだ付き合ってないだろう!」と怒りたい。それが出来ないのは何故だ・・・。確かに、美恵も可愛いと言えば可愛い。髪はそんなに長くなく、ストレートである。俺はストレートが好きだ。服装も流行に乗っかり過ぎる訳でもなく、程よく。色も可愛いと思う。ちょっと髪を染めていたりして、でも服と合っているので浮いていない。・・・性格は?
 ワガママなところがある。ちょっとずつ記憶が戻ってきた。確か、この美恵にちょっと高めのアクセサリか何かを買わされた気がする。1万か・・・1万はしなかったか?誕生日とかじゃなくて、1ヶ月記念日とかだったと思う。記念日が好きな子だったっけ。アニバーサリー女って健は言ってた。そういう奴は束縛がきつかったりするとか言ってた。でも、記念日以外は別にそうでもなかった。とりあえず覚えさせられたっけ?難儀ではなかったが・・・。結局3ヶ月程度で別れたから、記念日が巡って来る事はなかったわけだが。
 「今日、何時まで大丈夫?」
「そうだなあ・・・」
キョコの約束の時間の事と、この場所からの距離のこととかを考えて・・・、
「4時半か5時・・・」
「そんなー!もっと一緒にいましょうよー!小学生じゃないんだから」
そういう事を言うか。ああ、言うのか。俺を誘ってるのか。でもな、俺はキョコとキョコのテスト勉強を見てやるんだ。だから、ちゃんと4時半くらいには帰るぞ。
「あのなあ、俺は」
「ああ!そうそう!これからカラオケでも行こう!」
時間はあるんだが、今からカラオケはしんどい。というか、密室は嫌だ。耐えられん。キョコとなら別。
「悪い。今ノドの調子悪いんだ」
「だーいじょうぶ。私が歌ってるから!」
そう来ますか。
「カラオケあんまり好きじゃないし・・・」
「それは知ってるよ」
「密室が、ね」
「セックスの時だけだよね、密室が好きなの」
「う・・・」
「あとね、こういうことも知ってるの」
「ん?」
明らかに美恵の雰囲気が変わった。声を落とす・・・というのか?
「高校生の彼女がいる・・・って」
「え」
つまり、それはキョコと付き合ってるのを知っているということで、ということは、どういうことだ?
「知ってて誘ったの」
「はあ?」
「来てくれるかなって」
「いや、でも」
「あなたのこと、きっと言い出せなかったんでしょう」
それは、お前が何度も遮ろうとしたからだ。
「言わせなかったの。言わせたくなかったの」
美恵の話はこうだ。夏休みの終わり頃に、キョコと俺が一緒に歩いているのを見た。そして、久しぶりに会いたくなってたまたま残っていた俺の番号のメモリを使って俺に電話をかけた。・・・らしいが・・・、
「好きなのは本当よ。でも、彼女可愛いから私には無理だって思った」
淡々と話す。
「でも一度くらいなら会ってくれるかなって思ってね。あわよくば・・・って思ったけど・・・」
思ってましたか、やっぱり・・・。
「下手に優しいところは何も変わってないね」
「はあ・・・」
拍子抜けだ。まさか、知っていて会ったとは知らなかった。というか、俺が最初から断っていればどうしたのか?
「そうさせない自信があったの」
そうですか。よく俺の事分かってるじゃないか。
「気持ちを確かめようと思ったけど・・・無理だね。あなたはあの子の事で頭が一杯みたい」
バレバレですか。
「地味な私なりに頑張ったけどな・・・」
地味?には思えない・・・。性格もかなり明るいと思うし、正反対だと思う。
「彼女幸せにしてあげてね」
泣いてる・・・?
「最後にワガママ聞いてくれると嬉しいな・・・」
あー、なんだ。一個くらいならいい・・・、
ちゅ・・・
一瞬、何が起こったのかと思った。美恵の顔が近づいて来て・・・。
「じゃあねっ!」
気付くと俺はその場に立ち尽くしていて、美恵の姿はもう小さくなっていた。

 「せんせー?」
「あ?ん?なんだ?」
「さっきから、ぼーっとしてるけど・・・大丈夫?」
キョコは優しい、素直だ、可愛い・・・。いいところを挙げたらキリがない。
「風邪・・・?」
「いや、違う。ちょっと考え事」
「昔の彼女の事でも考えていたのかなぁ〜?」
ぶっ!
「なぁ〜んちゃってねっ」
「はは・・・はははは・・・」
何も言えない。事実なんだから余計に何も言えない。今日の出来事はそっと胸の奥にしまっておこう・・・。
「せんせーだって言えない事あるよね。大丈夫、私はちゃんと分かってるから、許してあげる」
そういって自分からキスを求める。してやる。軽く、唇を浄化させよう・・・と考えた自分が嫌になったが、気持ちが軽くなった。今日の事は忘れられる・・・、忘れよう。
「あ、せんせー、ここ教えて?」
「ああ、ここはな・・・」
今のこの空間がどれだけ幸せか、大切か分かるから、忘れよう。そして、ありがとう美恵。少しだけ強さをもらった。冷めて別れた二人だけど、何も得ないものがなかったわけじゃないというのは確かだから。
「うん、うん、分かった!」
キョコには何をもらってるだろう?幸せそのもののような気がする・・・ってのは言い過ぎか?




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