ひと夏の家庭教師



『ひと夏の家庭教師』


第8話






「・・・で、お前ら、あの後どうなったんだ?」
あの、健がキョコ達をナンパして、飯食ってカラオケ行った日の数日後、健から電話がかかってきた。今日は、家庭教師の日。時間は、全然ある。
「うっせーなー。今更、何聞いてるんだよ」
「だぁほー!お前、メールも返さないし、何も音沙汰なかったから何かあったのかと家に行ったら誰もいないし!どれだけ心配したと思ってるんだよ」
健の心配が少々ウザい。いちいち、あの『夜』の事を話さなければならないと思うと、何か重い。というかかったるい。
「何『感傷に耽ってまーす』みたいな間を作ってんだよ。電話代もったいねーだろー」
そこを気にするなら、全く連絡とらなかった俺の身をもうちょっと心配して下さい。出来れば1週間ほっといて欲しかった。
「あーあー分かったよ。今からそっち行くよ。話とことん聞いてやる。てか聞かせろ」
何だこいつ。エロ話でも期待してんのか?
「じゃーな!」プッ
あ、切れた。
「なんだよ、本当に・・・」
つぶやいて、ベッドに身を投げる。
ガチャッ
「よっ」
って早っ!こいつ、家の前でしゃべってたのか?!

「もー逃げられん」
誇らしげに言わないでくれ。元から逃がすつもりなかったから、家の前まで来て俺に電話かけてたんだろ?全く、迷惑だってのに。
「お前とキョコちゃんがいつの間にかカラオケ抜け出してて、気付いたら真里ちゃんしかいなかった。真里ちゃんは『ほっといてあげればぁ?』って言ってたが、気になってしょうがない!てかキョコちゃんの携帯聴き忘れたのが唯一の後悔だ」
自分の心配が先なのかよ。もういいや、話してやるか。
「観念したか。いい子だいい子だ」
聴いていい?こいつYAHOO!オークションで売れる?


「暑いな」
夕方を過ぎてるとはいえ夏、全然暑い。というか、「暑いな」って言っても、それより今の状況が気になって仕方がなかった。隣にはキョコ。これは別にいいんだ。何回か家庭教師以外で遊んだことあるし、話に困るってことも特にはないから。しかし、今日は特別だ。キョコが俺を誘った。これは、もうOKということなんだろうか?・・・OKって?
 それ以降、会話はない。俺、緊張してるのか?『もしかしたら』の事態が起きるかもしれない。だから心の準備とかもしないと・・・。そう考えると緊張してくる。
 緊張?何で緊張?ありえない事態を勝手に想像してるだけじゃないか、バカバカしい・・・。
「あ、せんせー道間違えちゃった」
「え?!」
あのカラオケ屋からそんなに遠いわけでもなく、特に間違えるような道はないはずだ。
「あっれぇ・・・、おっかしぃなぁ・・・」
本気らしい。頭の中で道をシュミレーションしてるのか、片手で頭を抑えもう片方の手の指で「あーでもないこーでもない」呟きながら空を切っている。本気か・・・見とれてるのは気付かないだろうな。
「あっ、分かった!」
と、また俺の手をつかんで早足で歩き出した。
「え?え?え?え?」
キョコの手に引かれるままに行くと、20mも進まないうちにキョコの住むアパートの裏側の公園についた。意外すぎるほど近かった。それなのに5分も悩むキョコは・・・やっぱり天然?でも可愛かったからいいか。
部屋のある階についた。突き当たりがキョコの住む部屋だ。・・・あれ?見慣れない男が立っている。高校生くらいだろうか?制服を着ているわけじゃないから分からない。でも、多分キョコと同年代だろう。しかし、何故この時間にこんな場所に?知り合いか何かか?
「あっ・・・」
キョコの足が止まる。知り合いだったようだ。でも、この反応は単なる知り合いではないことを示していた。多分、単なる知り合い、友達の類ではないだろう。
その男はジッとこちらの方、いや、キョコを見ている。・・・俺は無視か?突っ込みたくなったが雰囲気がそうさせない。緊迫している。何だこれは。
「キョー・・・」
「帰って!」
男がキョコの名前を呼ぼうとしたのをキョコが瞬間的にさえぎった。男がきょとんとキョコを見つめる。まさか、名前を呼ぶ前にさえぎられるとは予測出来なかったのだろう。と、いうか俺もきょとんとなってしまった。
「な、なんだよいきなり・・・ははは」
とりあえず雰囲気最悪なので割って入ってみた。少しは緩和されることを祈りつつ。
「せんせーは黙って下さい」
俺までキョコにさえぎられた。いつものキョコとは似ても似つかない、強い意志を感じる言葉だった。少しだけ引く・・・。
「誰だよ、そいつ」
「洋二には関係ないわ」
『洋二』って言うのかこいつ。でも、呼び捨て?まさか?
「つ、冷たいな・・・。つい数週間前まで愛し合ってた関係(なか)じゃないか」
え?数週間前?愛し合った?ってことは元カレ?混乱してきた。そういえば以前に聴いたのは「2ヶ月付き合った彼がいる」ということだけ。いつ頃の話なのかは全く知らない。そんな、最近だとは・・・。
「愛し合った?って何?一方的に捨てておいて、今頃ノコノコと何をしにきたの?また、付き合ってた子に飽きたから私に会いに来たの?それならやめて!そうじゃなくてもやめてほしいのっ」
「何を・・・。捨てたのは悪いと思ってる。半分くらい俺の浮気だけど。けど、やっぱりお前がいいんだって。信じてくれよ。何度、電話してもつながらないし・・・だから直接部屋に来たんだ」
「とにかく帰って下さい。あなたに振り回されるのは沢山です。あなたと取り合う気も全くありません」
断固拒否を決め込んでいるキョコ。話くらいもうちょっと聴いてやっても良さそうだが。というか、まだ話したそうである。入れない・・・、ただ黙って見守っているだけだ。
「そんなこと言わないで、もう一度、ほんとにやり直したいんだって。心入れ替えたんだって。信じてくれよぉー」
心入れ替えたなら、いきなり「愛し合った」とか言うなよ・・・。気持ち悪いな。
「では、失礼します」
強く言い捨てて、すがろうとする洋二を無視してドアを開け、
「せんせーどうぞ」
と、俺をエスコートして、自分も入り、鍵をかけようとする。
「そいつが好きなのか?!一時は身体まで許した俺より!待てよ!」
ガチャッ


・・・・・・沈黙。最後、洋二は「一時は身体まで許した」と言った。気になる。まさか、あんな奴に処女を奉げたのか?
「せんせー!」
不意にキョコが飛び込んでくる。泣いているのが分かる。着ていたシャツが少しだけ濡れてくるのが分かる。軽く抱きしめてやる。こうしてやることが今キョコを落ち着かせるには一番いいだろう。キョコは頑張った。泣きたいのを我慢して虚勢張ってあんな強い態度をとったんだ。なんてカワイイんだ・・・。抱きしめる腕の力が無意識に強くなる。キョコは「ひっく、えぐ・・・」泣いている。可哀想に・・・。「俺だったらこんなに泣かせはしない」そういう想いが頭を過ぎる。守ってやりたい。このカワイイ、そして、か弱い彼女を。一時の感情だとしても、それでキョコが笑ってくれるなら、今一度笑顔を見せてくれるならそれが嬉しい。
「何があったのか俺にはよく分からないけど、キョコは頑張ったよ」
ちょっとだけ頭を撫でてやる。少しでも気が落ち着くはずだ。
「えっく・・・ひぐ・・・」
ちょっとずつ泣きやんできてみたいだ。
「あの、あのねせんせー・・・。あの人・・・」
まだ、声が震えているが、ちゃんと聴き取れるよう気を使ってくれたのか・・・ゆっくりと話し始めた。
「2ヶ月付き合ったって言う彼で・・・私の初めての相手・・・」
やっぱりそうか・・・。
「好きになったのは私から・・・それで告って、付き合うようになって・・・初体験は、初キスと一緒で・・・この家で・・・両親いなかったから、来てくれたときにそういう雰囲気になって・・・最初はキスだけって思ってたけど、急に押し倒されて・・・抵抗出来なかった・・・その時は、すっごくすっごく好きだったから・・・。痛かったけど我慢したんだよ?頑張って・・・。でも、それが終わってから・・・急に態度が変わった・・・。会うたびに私を抱こうとしたり、強引に触ってきたり・・・。しかも、後で自分から白状したことだけど、数人と関係を持ってたって・・・」
また涙目になる。指でそっとこぼれかけた涙をすくってやる。
「あ、ありがとう・・・。えっと・・・それで、私と会う=セックスするっていうのが分かった頃には、もう彼は完全に違う人になってしまっていた・・・。それで、問い詰めようとしたら、いきなり『じゃーな』って言って・・・たったその一言で捨てられたの・・・」
全く酷いやつだ・・・。やるだけやってポイッってやつか?俺には信じられない・・・お互いの同意も何もあったもんじゃない。
「それはひどいな・・・」
「私にも原因はあると思う・・・。いきなり身体を許したものだから・・・『こいつは強引にやれば無抵抗にやらせてくれる』って思っちゃったんじゃないかな・・・」
無理に作ろうとする笑顔が痛い。守ってやりたい。このままずっと抱きしめていてやりたい。
「せんせー・・・こんなキョコ嫌いでしょ?汚れてるの本当に・・・」
「そんなことない」
流れる涙をとめるにはこうしかない。頭で「ごめんな」と思いつつ、そっとキスをしてやる。この前してもらった右頬ではなく、俺から、口づけで・・・。キョコはきっとこうしてくれると思っていたのか、ただ俺のキスを受け入れて、目をつぶって俺が唇を離すまで待っていた。
「せんせー・・・キョコを抱いて下さい」
きっと慰めて欲しいのだろう。分かっている。『本当の意味で』俺を求めているのではない。そこに抱きしめてくれる存在が欲しいんだ。
「悪いがそれは出来ないよ」
「え・・・」
「君が、大変な目にあったっていうのは分かる、泣きたいなら思いっきり胸を貸してあげるよ。今のキスだって君を落ち着かせるため。それに前してもらったし・・・」
言い訳くさいことを言いすぎだろうか。
「はい・・・そうですよね」
「君が今、ただ抱きしめてくれる存在を欲しているんだろうと思う。本当の意味で俺は欲していないと思う。まだ欲せないと思う。だから、君の全てを抱きしめる事は、今は出来ない。かえって傷つけそうだから。こうやって胸も貸すくらいなら何時間でも泣かせてあげる。話なら幾らでも聴いてあげる。俺の意見も求めれば、ちゃんと分かるまで言って上げる。とことん付き合ってあげる」
「せんせー・・・キョコの事が好きじゃないの?」
痛い。こう言われると痛い。断りにくい・・・。
「あ、あのな、キョコ。嫌いな子にキスなんて出来るか?好きじゃないのにこんな事言うか?俺だって出来れば抱いてやりたい。でも、欲望だけで抱いてしまいそうで嫌なんだ。キョコは、慰めて欲しいんだろ?」
「・・・うん」
目がうつろだ。
「だから俺がこのまま抱いてしまうと、キョコを欲望だけで抱いてしまう」
「・・・うん」
どうやら、さっきの洋二との出来事が頭を離れないらしい。時々、目で天井を仰いでうつむく。
「せんせー・・・もうちょっとだけ胸貸してくれませんか?」
「ん?ああ、いいぞ。思う存分泣け」
ちゅ・・・っ
「んぁ?!」
「お返し、です」
ふふっと笑って俺から離れる。もう、いつものキョコだ。元気なキョコだ。
「せんせーならね、きっとそう言ってくれると思ったんだー。せんせー優しいから、きっと言うだろうなってねっ」
はめられたのか?は、はめられたのか?!
「でもね」
この期に及んでなんだ!
「せんせーになら抱かれてもいいよっ、私」
「え」
すると、
「本当だよ・・・」
と、耳元で囁いた。その時の吐息が忘れられない。俺は思った。「次、同じような事があればきっとキョコを抱くだろう」と・・・。




「お前・・・」
「まあ、そういうわけだ」
「何故抱かなかったあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
ああ?何だこいつ。だから言った通りだってば。
「おいしいだろ状況っ!きっとキョコちゃんは抱いて欲しかったはずだ!代われ馬鹿!」
そういうことしか考えてないから、
「真里ちゃんには彼氏の話ばっかされて、手を出せないし!」
防衛線張られるんだって、オバカサン。
「俺だったら絶対やっちまってるよ!男として勿体なすぎるぞ馬鹿!」
だから、お前には適わないって馬鹿さ加減は。
「しかし、あのキョコちゃんを落とすとはお前中々やるな・・・」
別にそういう気はないんだが。
「俺が何度アタックしても響かなかった鈴が・・・お前が振ると鳴ってしまったわけだ・・・」
お前いつから詩人を語るようになった。
「とにかく次は、ないだろうが、万が一、いや、京が一あったなら遠慮せず抱いて来い!」
お前の人差し指は絶対過去を目指してるよな、健。
「しらねーよ」
とは言ったものの、多分、抱いてしまうだろうな、億が一の可能性でそのチャンスがあれば。
「あーお前に寄ってくる女は何故に抱かれたがるのだろうか・・・、ただの優男なのに」
知らん。俺にも分からん。でも、これほどまでに強く想ったのはキョコが初めてだ。大切にしなきゃな、彼女も、彼女の気持ちも。




第9話